笑っていたい

インフルエンザが流行り出すころ、

ふんわりとよみがえる出来事がある。

今は5歳になった三女がまだ3歳の頃の冬、

家族中がインフルエンザに

かかったことがあった。

母は強し、

とはよく言ったもので、

私だけがなぜか発症せず

看病に明け暮れる日々。

さすがに最後に発症した

三女が元気になる頃には、

母さんはぐったりとお疲れ模様。


そして、心の中でいつもぼやいていた。

神様

どうか私にひとりの時間をください

と。

けれど、日常は止まらない。

食べさせなければならないし、

遊ばせなくてはならないし、

見たり聞いたりしなくちゃいけない。


そんなある日の夕方、

ぐったりしている私に鞭を打つかのように、

三女が私の手を取り

「ぴょんぴょんして~!」

と、ねだった。


我が家には小さなトランポリンがあって、

子どもたちがよく跳ねて遊ぶのだが、

そこに私も付き合えと言うのだ。

正直なところ、

勘弁してほしいな、と思う。


だけど、

いつも姉たちの後回しにされてしまう

三女なので、

仕方なく重い体を引きずって付き合う。

私の手と自分の手を重ねて

嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねる三女。

跳ねながら

「かかさま~(母さん)いつもありがとう~。大好きよ~。」

と、歌っているのだ。


子どもとの生活にもだんだん慣れ、

初々しさからは少し遠ざかり、

たいがいのことはハイハイとあしらえる

肝っ玉になってきたと思っていたけれど、

わき目もふらずに飛んできた

矢のような愛を前に、

不意に胸は打たれた。

日ごろは気づかぬようにしているけれど、

言葉にならないまま胸の内でひしめいていた

日々のもろもろとしたものが

はじけるように涙となってあふれて、

目の前の三女を泣きながら抱きしめていた。


三女はびっくりして

自分まで泣きそうになりながら、

「かかさま、泣かないで。笑ってよお。」

と必死で笑わせようとしていたっけ。


そうだった。

幼い体を満たしている願いは、

ただひとつ。

―母さん、笑っていてね。―

ただ、それだけ。


幼い子どもの表面的な要求など、

きっと本当の願いではないのだろうな

って思う。

自分を守ってくれるお母さんに

笑っていてほしくて

ただそれだけで生きている。

笑ってほしくて

笑顔が見たくて

自分のやりたくないことだってやる。

お母さんの言うとおりにする。

そうやって少しずつ、

本当の自分とは違う道を歩き出してしまう

ことだってある。

私にもきっとそういうことがあった。


だから、ね。

母さん、笑っていたい。

何もしてくれなくても、笑っていたい。

あなたが母さんの笑顔のためじゃなくて

自分のために歩けるように。

母さん、いつでも、笑っていたいな。

寒さが厳しくなって、

子どもの風邪との戦いで

思わず眉間にしわが寄りそうになる季節に、

そっと心を鳴らすエピソード。

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