彼の理由

ダウン症の彼は

言葉では発信しないけど

たくさんの表現で教えてくれる。

自分の感覚をフルに使ってそれを通訳し

彼と共通言語をもつのが私の仕事。


そんな彼。

外出や散歩の時に必ず曲がりたがる角がある。

つないだ手を振り払って迷いなく曲がる。

でも避難訓練中だったり

みんなと一緒に行かなきゃならなかったり…

慌てて方向修正して

みんなを追いかけてものだった。


だけどずっと気になっていた。

彼が曲がりたがる道の先に何があるのか。

その日チャンスが来た!

公園への外出の時間。

いつもの角をいつものように曲がろうとした彼。

スタッフに伝えて彼の後をついていく。

「お?今日は行かせてくれるのだね。」

という心の声が聞こえてくる。

振り払った手をもう一度

つなぎ直してくれたのがその証拠。


迷いなく山の方へ1本道をぐんぐん進む彼。

だいぶ歩いてさすがに不安になってくる。

ちゃんと連れて帰れるか

どこまで行くのか

この先に何が待ち受けているのか

何もないのか

だけどこんなにも力強く

彼の意思を感じるのだから

と心細さを奮い立たせてついていく。


不意に

立ち止まり1軒の民家にすっと入っていった。

空き家のようだった。

郵便受けを見ると薄く残された文字。

『日中一時支援事業所』

ああ。ため息が出た。

そこは以前彼が利用していた場所

だったに違いないのだ。


場所が

そこでの思い出が

彼の中に熱く残っていて

あの角を通るたびに

彼を曲がらせようとしていた。

そのことを思うと

つないだ手からじわりと涙が出そうだった。


子どもの行動の一つ一つには必ず理由がある。

それを読み解くには時間と信じる力が必要。


そして大人の私たちの心のどこかに

子どもの方が・障がいをもつ人の方が

『違っている』

という無意識の思いがあって

私たちにとっての良い行動・悪い行動で

判断して

その心に届かぬまま

行動を遮ったり

動かしていなかっただろうか

という反省の念を抱く。


彼の満面の笑みと足取りの軽さに

『大切なことに気づかせてくれてありがとう』

と両手を合わせて拝みたい気持ちで

歩いた帰り道を

私は一生忘れないだろうなあ。

草原のコトノハ

母たちの唄 益子由実 YUMI MASUKO

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