本当を”汲む”
長い夏休みも終わり、
日常のペースが戻ってくる9月。
振り返れば、食事を毎食作る慌ただしさも、
なぜか親子して宿題に追われる日々も
懐かしく感じる今日この頃。
やれやれ。
夏休みの宿題と言えば、
やる子どもも大変なのだが
丸付けをしたり
自由研究に付き合わされたりする親も大変!
おまけに子どもという生き物は、
分からなかったりつまずいたりすると、
気持ちも萎え、夏の蒸し暑さも加わって
機嫌が悪くなるのがお決まりのコース。
そういう時は「お母さん教えて。」
と言われて教えようとしても、
あまりうまく行かない。
なぜかしら・・・。
そんな時に思い出すのは
亡くなった祖父の言葉だ。
祖父は新潟県の小さな田舎町に
一人で暮らしていた。
戦争を経験し寡黙な祖父だったが、
初孫の私はめっぽうかわいがられ、
遊びに行くとお向かいの小さな雑貨屋に
毎朝駄菓子を買いに連れて行ってもらったり、
風呂を焚きつける杉の枝拾いも
特別にバイクの後ろに
乗せてもらったりしたものだった。
ちょうど小学生の頃の夏休み、
算数の宿題を祖父の家でやっていた時のこと。
算数は苦手で目の前にした計算は
難しくてよく分からない。
進みは遅いし、解けた喜びもないし、
ダメだなあ自分‥と泣きそうになりながら、
何とか終わらせ父に丸付けをしてもらったら、
やっぱりたくさん間違っている。
おまけに父に
「分かっていないじゃないか。」
と言われてがっかりしていた。
バツだらけの計算式を見ながら、
鼻の奥がツーンとして、
ぽとりぽとりと涙がちゃぶ台に落ちた。
するとそんな様子を黙って見ていた祖父が
にっこり笑って私だけに聞こえる
小さな声で言ったのだ。
「じいちゃんが小さい頃も、
お前と同じように出来なくて泣いていたよ。
そして、お前のお父さんも、ね。」と。
この言葉は効いた!
普段はあまりしゃべらないのに、
この時祖父が発した言葉には
力強い安堵感があった。
そう、安堵。
私はただ安心したかったのだ
“自分はダメな子じゃない”って。
算数が苦手なのも知ってる。
計算ができないことも分かってる。
だけど、自分はダメな子じゃないって
安心したかったのだ、きっと。
あの時、祖父が汲んでいたのは、
私の本当の気持ちのほうだった。
そして、祖父がしてくれたことは、
私が本当にしてほしかったことだった。
励ましでも、なぐさめでもなく、
安心が欲しかったあの時の私。
分からなかったりつまずいたりしている時、
子どもの「教えて。」は「安心したい。」
に言い換えられるのかもしれない。
子どもと一緒にいて
雲行きが怪しくなってきた時、
いつも自分が子どもの頃、
どうしてほしかったかを思い出す。
—本当は親にどうしてほしかったか。—
それが、子どもの口から出た言葉の、
もっと奥にある本当の気持ちを汲む
ヒントになっている。
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