この世の母と子の間に生まれるすべての想いは
この世の母と子の間に生まれる
すべての想いは、
一代で完結しないようにできているらしい。
私の母は、宮城の田舎の農家に育った。
長男の学費を出すのが
女である母の学問の道はけわしく
東京に出て働きながら勉強していた
と聞いている。
学びたい時期に、
思うように学べなかった
その複雑な胸の内は、
きっと生涯明かされることのない
ひとすじの痛みだったにちがいない。
貧しさが
母の学びたい気持ちに水を差していた。
働いて収入を得て、
私を生んでからも
それは学べなかった時間を
まるで取り戻すかのように
静かで貪欲だった。
台所ではいつもラジオから
NHKの基礎英語が流れていた。
「自分で食べる分は、自分で稼がなきゃ。」
が母の口癖だった。
経済的な自立が、
きっと母にとっての
学びのスタートラインだったのだ。
そんな母が私を身ごもった時、
きっと誓ったのだろう。
この子にはお金で苦労させまい、
自分のような思いはさせまい、
-存分に学べる環境を-と。
それは、本当は
母が自分の両親にしてほしかったこと、
だったかもしれない。
母は必死で働いた。
明け方に帰宅して、
私の登校時刻と同じ頃に
母のあふれんばかりの想いを
体中に浴びながら、
私は存分に学べる環境にいた。
一人っ子で、
習い事もたくさん習わせてもらったし、
大学まで進学することもできた。
私は貧しいことが原因で、
習い事や学問をあきらめることは
何一つなかった。
母は、自分が両親にしてほしかったことを
私に注ぐことで、
未完のままの幼い痛みを
少しずつ完結さていたのかもしれない。
もし、
それが成就していたら、
私はすごく嬉しい。
それが母の子としての
私の役割だったと思うから。
そうして、私はというと。
母と同じように
ひとすじの痛みを持ちながら育った。
経済的に何不自由なく育ててくれ、
ひたすらにまっすぐ愛してくれた母に
してほしかったことがある。
-私が好きと思うものを、
母にも好きだと思ってほしかった-
生産性や経済力の
何も足しにならないような、
ただ純粋に好きなモノ。
ダンスや
ビー玉をお日様にかざした時の色合いや
畦道を駆け抜ける時の草いきれや
霜柱をふむ時のシャリシャリや
恋した男の子のこと。
無条件に共感してくれて、
母と一緒に好きでいれたら、
どんなに嬉しかっただろうなあと思う。
そんな痛みを抱えながら私は母親になり、
今度は自分の娘たちに願う。
自分が心から好きと思えるものを
母さんはそれをいつも応援してる、と。
私の娘たちはそこの部分を満たされながら、
同時にどこかで満たされない痛みを
私から受け取って次の世代へもってゆく。
母と子はこんなにも互いを想い合っていて
一代ですべてが満たされて
完結してしまったら、
魂の進化が止まってしまうから…。
そうやって魂の進化が止まらないように、
未完の想いを次の世代に持ち越すように
世界はゆるやかに
作られているのかもしれない。
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