ユーモアは子育てを救う?!

この春2年生になった

発達マイノリティーの次女。

同じ年代の子どもたちが

ひょいひょいやってのけるだろう日常動作も

彼女にとっては

『どうしたらあんな風に自分の思うように

身体を使いこなせるのだろう』

ということも多い。

その中のひとつが『湯船からあがる』

である。

湯船の淵に両手をかけて

片足を持ち上げて床におろし

もう片方の足も同じように持ち上げておろす

というこの一連の動作が、

まあムズカシイ。

しかしながら、

毎日湯船に入ったら上がらねばならないので、

それを簡単にこなす姉と妹を見ながら、

上がろうとする気は満々。

ある日、偶然なのか、

自分のやり方に合っていたのか、

湯船の端についた水道のパイプに両手をかけて

体重を支えながら一人で上がることに

成功した。

家族中に褒められて味を占めた次女は、

それからしばらく同じ方法で

ゆっくり時間をかけながら

ひとりで湯船から上がることに熱中した。

小柄な体つきだが20キロもの体重が、

毎日直径2センチほどの細い水道パイプに

乗っかり続けたのだ。

気づけば、まっすぐだった水道パイプは

水の出口の方が垂れ下がり気味。


それでも次女のやる気と達成感には

代えられない…と

水道には申し訳ないけれど

そのままにしておいた。

日を追うごとに、垂れ下がる角度は増し、

とうとう蛇口の栓に近い部分に

亀裂が入りだしたころ、

母さんの貧乏性が顔を出す。

次女が何かひとつ日常動作ができるごとに

我が家の備品がひとつ壊れていくのも

いかがなものか、と。


そんなある日、一緒に湯船に入っていた長女に

「見て、水道あんなに曲がっちゃったよ。」

とぼやくと、あっははははと笑って

「水道がおじぎしているよ。」

と言ったのだ。

やれやれとついたため息が、

ふっと何かにすくい上げられたようで

つられて笑った、母さん。

長女のユーモアに救われた。


その日から、だらりと傾き

蛇口をひねれば正しい水の出口よりも先に

別の場所から水が噴き出す

我が家の風呂場の水道が

ちょっぴりいとおしくなった。

人の笑いを引き出すために 

自らを滑稽にさらす道化のように

鳥たちに実をつつかせるために

惜しげもなく体を二つに割るあけびのように

次女の動作がひとつ豊かになるのを願って

水道もまた黙って身を差し出して

くれていたのかもしれない。


だらしない水道は

次女の成長の気配を帯びながら

今も現役活躍中。

 ~水道よ、何が故に首を垂れる

  自分の頑丈さへのふがいなさか

       子どもの成長への敬いか

               母のユーモアへの誘いか~


ユーモアは

子育てにまつわるため息や深刻さから

ふわりと優しく救い出してくれる。

子育てに対する母親自身の鋭さや厳しさを

やんわりと包んでくれる。

ユーモアが子育てを救う時が少なからずある

と思う。

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