母さんも楽しんで!
子どもの頃、好きだったもの。
宵闇に揺れるお祭りの提灯、
友だちと裸足で駆け回る野原、
ダンスのステップ、
新しい文房具の匂い、
運動会の日の朝の高い空、
歌って踊るアイドルたち…。
好きなものに理由はなくて、
生産性や合理性とも全く関係なくて、
純粋な心からのときめきや喜びと
共にあったそれらを、
お母さんやお父さんは
どうして分かってくれないんだろう…
って、ずっと思っていた。
あたしの好きなことを、
お母さんも同じように好きでいてくれたら
いいのにな・・・。
~あれから長い長い時を経て、
子どもだったあたしは母になった〜
次女を外に連れていくのは
大変なことだった。
公園
子育て支援センター
テーマパーク
公共の乗り物…
子どもが行けば楽しめると思われる場所で
次女はほとんど楽しめなかった。
すれ違う人に突然手を出し
叩いて驚かせてしまうし
(本人は叩くつもりはなくても
力の調節ができないので
ほとんどパンチに近い力強さ)
友だちの使っているものや作っているものは、
ことごとくいじって崩してしまうし、
まして一緒に道具で遊ぶことは難しかった。
公園などでも、何かのきっかけで
口数が増えてきたかと思うと、
だんだん声色も激しくなり、
しまいにはギャーギャーと金切り声を上げて
泣き叫んだ。
容赦なく降り注ぐ好奇のまなざしを
大人で親である私ならまだしも、
一緒に歩く姉妹たちはどう思っていただろう。
次第に私はどこへ連れていくにも、
次女の手をぎゅっと握りしめて
身構えるようになっていた。
公園でも次女が誰かに手を出さないように、
友だちとの関わりも最小限にし
何か起こる予感がしたらすぐ引き離す。
落ち着かなくなって口数が多くなってきたら
金切り声が出る前に
まだ着いたばかりで満足に遊べていない
姉妹たちを引きずるようにして撤収。
(姉妹の気持ちは置き去りのまま)
そんな果てしなく重たい日々だったけど
少しずつ、ほんの少しずつ次女の許容範囲は
広がっていった。
公園の絵カードを作って、行く前に見せたり
人が少ない朝早いうちに遊びに行ったり
次女がどうすれば楽しめるかを手探りで
いろいろ試し続けた。
そのプロセスは笑いあり、涙あり、怒りありの
まさしく珍道中なのだけど
続けていくうちに、
相性のいい場所や心地よい広さ
穏やかでいられる人の数、好きな遊具も
分かってきた。
それでも、今でも、外に連れ出すときは、
私の身は少し固くなる。
公園に行った。
姉妹たちがサッカーボールを蹴り出すと
次女はそのそばを無表情でウロウロ。
私は、その次女のそばをウロウロ。
ふと、ボールがこちらへ飛んできたので、
蹴って姉に戻すとまたボールが来る。
ついつい楽しくて次女の見守りをほおって
ボール蹴りに夢中になってしまった。
その時!
無表情でウロウロしていた次女が
にまっと笑って
ぴょんぴょんと不規則に私の周りを
嬉しそうに飛び始めた。
頭にぎゅっと詰まっていたものが、
ほろりと剥がれおちた瞬間だった。
ああ、この欲求。
「母さんも楽しんで!
母さんが楽しいと、あたしも楽しい。」
きっと、これだったと確信している。
子どもは自分だけでも母さんだけでもなく
両方で楽しさを分かち合いたい、
という欲求の塊なんだ。
自分が好きと思うことを
母さんにも好きでいてほしい、
無条件に。
そして、きっと母さんの楽しさも
自分と分かち合いたい
そう思っている。
そうして、30年前の私が感じていたことを
ふわりと思い出させてくれたのだ。
親になって逆の立場で気づかされて
子どもたちに還すことによって
やわらいだ幼い胸の内の痛み。
その夜、あの頃の自分へ時を超えて
そっとそっと報告したのだ。
「よかったね。思いが伝わって。」
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