次女の生きる世界
次女を叱っている時、
体のすべての細胞が
怒りのエネルギーでパンパンに膨張し
耐えきれず
口から罵声となって
吐き出されている気がしている。
その日はカレーだった。
帰宅してすぐ始まる小さなパニック。
原因はきっとあるのだろうけど、
マジョリティーの私たちには
想像できないレベルの繊細さで
物事を受け止めている次女を
わかってあげられないことは多い。
うーうーと甲高い音で
体中に力を入れてパニックは加速し、
近所中に響き渡るほどの
わめき声になっていた。
思うように調節できない左手が、
テーブルに用意されていたカレーを
ひっくり返した。
白いごはんと小さく刻まれた具材が
茶色のルーにまみれて
無残に床にばらまかれた。
「まずい!」
という顔をして長女が慌てて拾い始める。
病み上がりだった三女は
しんと息をひそめた。
母の堪忍袋の緒がどこまでもつか、
どこから切れるかの境目を、
姉妹はよく分かっていた。
ここのところ…
という言葉の不透明さにうんざりしていた。
一昨日も。
昨日も。
今日も。
明日も?
一体いつまで?
人生のどこまで続くのか分らない
次女のパニックは
いつもどこかで
わたしの心に影を落としていた。
次女を怒っている時
姉妹をも傷つけていることを
知っている。
そうして自分も傷つき
台所で後悔することを分かっていながら
こらえられずに堪忍袋の緒は切れた。
胸のあたりからむくむくと真っ黒な闇が
噴きあがり吐き出されるように
怒鳴り声と平手打ちが飛んだ。
―ああ、やってしまった。―
血の気が引く速さで後悔の波が押し寄せる。
それなのに…
一瞬の沈黙の後、
泣きはらしたままの目で、
次女の口からこぼれた言葉はひとこと
「抱っこ」
何なんだ。
何なんだ。
子どもって…。
怒りで握りしめたこぶしが
まだ震えているというのに。
素直に「うん」と言って
抱きしめられたら
だけど、その日はそれすらできなかった。
簡単に気持ちを切り替えられてたまるか
という思いもあった。
驚くような展開に面喰った
という部分もあった。
・・・
子どもというものは
どんな時でも
ものすごい純度で
お母さんを愛している、
ようだ。
自分がどんな状況でも
(たとえ怒鳴り声と平手打ちが
飛んできていても)
決して穢されることなく
母への愛の純度を保ちながら
そこをエネルギー源として生きている
生きものなのだ。
子どものもつそういう要素を
どこまでも無垢に生き抜く
マイノリティーの次女に
その日
大人になってだいぶ穢れてきている
ついていけなかった…
表面で起きている日々の出来事
出来事から生まれるちりちりとした感情
生きることが慣れることと同じになっている
毎日
そこに染みついている”当たり前”という思考
積み重ねてきた価値観…
などは
瞬時にして純度の高い彼女の愛のもとに
燃えカスになってしまう。
ー残った芯だけを生きるー
たぶん、次女はそういう世界を生きている。
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